「あの遺跡の工事現場が、私の人生の始まりだった気がします。」と語るのは、文化財修復家の久保暁子。
東京・町田で生まれ、幼少期に滞在した大阪・南茨木で偶然出会った古代遺跡が、歴史への興味を芽生えさせた。旅と好奇心のままに世界を巡った学生時代を経て、一冊の本との出会いが、彼女を文化財修復の世界へ導いていく。”商業から伝統へ”その転身の裏にあった決意とは。
ima presents「かたる」では、今回から数回にわたり、文化財修復家・久保暁子さんの特集をお届けします。
久保 暁子の「かたる」第1話、歩みを今、紐解いていきます。
銅鐸作りの村、そこが“歴史の目”を開かせた原点
生まれは東京都の町田市なんです。いわゆるマンモス団地で育ちました。わたしは転勤族だったので、大阪や千葉、静岡など、いろんな土地を転々としていましたね。
小学校低学年のころには、大阪の南茨木に住んでいたんです。そのとき通っていた小学校の児童数が増えて、分校ができることになったんですが、ちょうど新しい校舎の建設予定地で「東奈良遺跡」が見つかってしまって…。それで学校の建設が一時ストップになったんです。
あとから知ったんですけど、そこはどうやら銅鐸を作っていた工房村の遺跡だったみたいなんですよ。高度経済成長期の真っただ中だったからか、発掘調査は1年ほどで終わって、無事に新しい学校に通えるようになりました。
その後、学校の近くに郷土資料館もできて、「こんなに古いものが、こんな身近にあるんだ」とワクワクしたのを覚えています。この出来事が初めて“歴史”というものに、わたしが触れた経験だったんじゃないかなと思います。

気の向くままに旅して、食べて、笑って。“好きなことを好きなだけ”の大学時代。
高校3年の9月、三者面談のときに母の口から突然「女子大に決めています」って聞かされて、そこで進路を急に変えることになったんです。それで、向田邦子さんが好きだったので「じゃあ女子大学なら実践にしよう」って決めました。渋谷に通えると思っていたら、実際はずっと八王子キャンパス通いでした…。
大学時代は、本当に自由でしたね。好きな本を好きなだけ読んで、アルバイトして、旅行して、スキーにも行って。学食にはインド料理のお店が入っていて、4年間ずっとキーマカレーとマトンカレーばかり食べていました(笑)。
旅行もかなり行きましたね。基本、最初のフライトチケットだけ取って出発するスタイルで、もう“無敵”でした。最初の旅はヒッチハイクで北海道一周。その後はバックパッカーとして、インド、中国、ミャンマー、チベット、ネパール、ベトナム、台湾、カナダ、韓国、グアムなど、食べたいものや気になる土地を目指して動き回っていました。そんなふうに過ごしているうちに、気づいたら4年間が終わっていた感じです。







「マネキンを作ろう」と手にした本が、わたしを仏像修復の世界へ導いていた。
大学を卒業した後は、某大手の通信販売会社に就職して、アパレルの担当をしていました。
初めて自分のページを任せてもらったとき、どうしても使いたいマネキンがあったんです。スタイリストさんと上司に相談したら、「100万円くらいするから無理だよ」と言われて(笑)。それなら自分で作ればいいかと思い、彫刻の本を読み始めたんです。結局、マネキンは作れなかったんですけどね。
そのときに手に取ったのが、日本の仏像彫刻に関する本でした。西村公朝さんのトンボの本シリーズ『やさしい仏像の見方』です。西村さんは仏像の面白さを一般の人に伝える方で、しかも修復家でもあったんですよね。その本に修復の話が書かれていて、「仏像の修復って面白そうだな」と感じるようになりました。あのころは25、6歳くらいだったと思います。
ただ当時は「修復家になりたい」とまでは思っていなくて、仏像の修復面白そう、仏像などの文化財のガイドとか面白そうだな、くらいの淡い憧れだったんです。
ちょうどその頃、社会全体でインターネットが普及し始めたタイミングで、わたしは「ニューメディア営業部」という部署にいました。当時はまだ1人1台パソコンがある時代ではなかったんですが、その部署のおかげで自分専用のパソコンを持てて、自由にネットを見られたんです。
そこで偶然見つけたのが、「修復家の集い」という掲示板で、今のSNSみたいなものでした。「こんな世界があるんだ、面白そうだな」と思って、「興味があります」と書き込みをしたら、「大宮に工房があります。興味があれば見学に来てください」と返信をいただいたんです。
仕事を絡めて伺ってみたら、そこにいたのが東北芸術工科大学・東北古典彫刻修復研究所の教授でした。その先生に「ちょうど1人枠が空いているから、社会人だったらすぐ入れると思うよ」と誘われて。
「面白そうだから行ってみたい」と思い、その日1日考えて、翌日には会社に辞める旨を伝えていました。今思うと、すごい決断ですよね(笑)。

あとがき
すべての始まりは、偶然の「出会い」だったのかもしれません。
子ども時代に目にした工事現場の土の匂い、遺跡という“見えない時間”との遭遇。そこから続く旅路が、のちにひとつの職業へとつながっていく――。
運命の糸は、気づかないうちに私たちの足元で編まれ続けているのだと思います。
そしてその糸は、やがて“山形”という新たな地で、技と心を紡ぐ時間へと導かれていきます。
久保 暁子の「かたる」第1話をご覧いただきありがとうございました、第2話もお楽しみに。



