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廃仏毀釈を越え、現代に残る島津家の聖地「念佛寺跡」

鹿児島県霧島市念佛寺跡
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鹿児島県霧島市国分の静かな住宅街の一角に、かつてこの地の信仰の中心であった念佛寺(ねんぶつじ)の跡がある。昭和25年頃までは、廃仏毀釈を逃れた念仏寺時代の石仏が多数あったと言われている。現在は、寺院としての建物は残っていないが、立ち並ぶ石塔群や深い苔に覆われた空間は、訪れる人を一瞬にして数百年前の薩摩時代へと誘い込む。

観光地化されていないため、とても静寂な空気が流れている、歴史散策や鹿児島県の深い文化に触れることができる。

鹿児島県霧島市の念佛寺跡の森に浮かぶ案内

念佛寺の歴史

正式名称は「吉水山光明院念佛寺」。
鹿児島大隈半島随一の寺として威勢を誇っていたが、明治の廃仏毀釈運動によって建物などがすべて焼失し、跡形もなく消え失せてしまった。
ご本尊阿弥陀如来脇侍観音菩薩勢至菩薩を安置していた。これらは運慶作と伝えられている。
開山は税所氏で、嘉暦年間(1326年~1328年)の頃、遊行上人が巡礼や布教のために諸国を回っていた際、大隈国の本寺として定められたという。かつては浄土宗(あるいは時宗)の古刹として栄え、戦国時代から江戸時代にかけて島津家との関わりも深く、一時は多くの僧侶が修行に励む広大な境内を有していた。また、近隣には「国分城(舞鶴城)跡」や「朱印船貿易の碑」もあり、かつて国分が薩摩藩の重要拠点であったことをうかがわせる。

鹿児島県霧島市の念佛寺跡の森に浮かぶ案内
鹿児島県霧島市の念佛寺跡の森に浮かぶ案内

念佛寺跡地の魅力

最大の見どころは、整然と並ぶ歴代住職の墓石群である。
島津良久(阿智通和尚)の墓は、島津義久の命により仏門に入り、念佛寺を復興した人物のものであり、島津一族との深いつながりを象徴している。
石造美術としての美も見逃せない。薩摩地方特有の意匠が凝らされた石塔や、廃仏毀釈の際に傷つきながらも守られた仏像などが点在し、静かに歴史の重みを伝えている。

鹿児島県霧島市の念佛寺跡の墓石群
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鹿児島 霧島市 念佛寺跡の情報

〒899-4301 鹿児島県霧島市国分重久
https://maps.app.goo.gl/czN6s8gPK6TH854N6
[御朱印] なし
[アクセス]JR国分駅からタクシー約11分/JR国分駅から市街地循環バスと徒歩約25分/東九州自動車道隼人東ICから車で約15分
[駐車場] 少数台あり
[開門時間] –
[仏像観覧] –
[拝観事前連絡]-
[電話番号] –
[拝観料] –
[ホームページ] –

鹿児島県霧島市の念佛寺跡
鹿児島県霧島市の念佛寺跡の案内板
国内ツアー Jcation(ジェイケーション)


執筆者のひとこと
隠れ念仏の跡を訪ねてこの地に訪れましたが、案内板はあるものの、道は生い茂る草木に阻まれ、さらに近年の豪雨の影響もあり、森はより深く、険しさを増しているようにでした。
しばらく散策したが、残念ながら仏像を見つけることはできませんでしたが、その中で、鹿児島の土地が持つ歴史の重みを少し肌で感じることができた気がしました。
鹿児島はかつて日本で最も激しい廃仏毀釈が行われた地、黎明館の栗林文夫氏の調査によれば、県内1,066もの寺院すべてが破壊されたという信じ難い過去がある。
念佛寺跡は公認の寺院跡ではありますが、この地に住む人々が密かに、そして大切に守り続けてきた「祈り」の象徴でもあるんだと感じた。
深い自然と共に、どこか人の手が入った温もりが残り、今も地元の方々に大切にされていることが伝わる美しい景観でした。目当ての仏像には届かずとも、守られ続けてきた静かな歴史の一部を感じれた、豊かな時間となりました。

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